俺のtrackを聴いてくれ - SR サイタマノラッパー(2009)鑑賞後 レビューと解説(ネタバレあり)




未鑑賞の方は、ネタバレなしの作品紹介記事をご覧ください。

サイタマの土地感覚について

この映画はなにしろ「サイタマノラッパー」ですから、「埼玉のラッパー」なわけです。この強烈なタイトルが鑑賞前の事前情報として力強く入り込んできます。私が東京出身の東京人なので、何を言っても上から目線・高みの見物という感じになってしまいがちなのですが、もう誤解を恐れずに述べればやはりここは「ダサい」イメージなのです。そういうパブリックイメージがあって、この映画は「サイタマノラッパー」というタイトルを掲げて、そこに「上等」とばかりに堂々はまり込んでいきます。

埼玉の特殊なところは、東京の隣、それも東京都にべったりと接しているにもかかわらずそのような「田舎くさい」「ダサい」イメージが強いという点です。この映画は、そんな埼玉のサイタマ感を押し出してきます。初っ端の国道沿いっぽい風景は、まさに日本の典型的地方都市のそれです。都会的な雰囲気は一切出てきません。レコード屋もありません。終盤、ブロッコリーラッパーのMIGHTY(奥野瑛太)が東京に行くという話をするとき、「向こう」という表現をするのがそこはかとなく笑えます。普通こういう文脈で「向こう」といったらニューヨークとか、そういう外国を指すもんだろうと。お前、東京は電車に乗って1時間だぞと。

ところで、私がこの「1時間」という数字を弾き出すために東京駅までの乗り換え検索をした駅名は「深谷駅」です。「福谷市」という架空の都市名のモデルは間違いなく深谷市でしょう。というか、IKKU(駒木根隆介)が病院から出てくる場面で病院の看板に「深谷市」って出ちゃってます。これわざとじゃなければミスですが、まあ些細なことです。

ともかく、あまりに田舎だという描写をしているために、(気を遣ってなのか?)市の名前が変更されています。でもクレジットの「協力」のところを見ると、地元の暖かいサポートを受けて制作されたのだろうな、ということが伺えます。特に「深谷シネマ」は酒蔵を改造して作られた珍しい映画館で、いつも魅力的なラインナップの映画を上映しています。


リアリティはどのように突きつけられたか?

この映画における物語の構成は、とてもシンプルでわかりやすいものでした。まず最初に、夢見る若者たちの浮き足立ち方・くすぶり方が、ユーモアたっぷりに、そして突っ込みどころ満載で描かれます。その後、その突っ込みどころに沿うようにして、無情なリアリティが突きつけられていきます。ひとつ、またひとつ。

そんな中で、主人公が成長を見せ、夢と現実の間であがいていき、どこかにたどり着くというというのがこの種の物語の一般的なつくりでしょう。『サイタマノラッパー』も基本的にその通りです。ただし、IKKUの成長のきっかけなどは描かれるものの、彼の成長自体はかなり内面化されています。つまり、あまりにもわかりやすく・派手には描かれません。何故なら、それは彼のラップの中で、彼の気持ちとlyricにおいて表されなければならないからです。それが映画の最後の最後にやってくるわけです。


リアリティのナイフその1・千夏のdis

SHO-GUNGの3人、IKKU、TOM(水澤紳吾)、MIGHTYは、最初の段階ではそれなりに楽しくやっています。漠然とした「このままじゃいけない」感はなんとなく感じさせるものの、家族に家から叩き出されることもないし、地元の先輩ラッパーともいちおう仲良くやっているし、ゴキゲンな雰囲気ではあります。で、ここにリアリティというナイフを突き刺すのが千夏(みひろ)です。

千夏はIKKUに対して容赦ありません。お前はダサい、デブラッパーウケんだけど、マジイタい、とボロッカスです。しかも埼玉でグズグズ何やってんの(勝負すんならなんで東京行かねーの?)、という指摘など的確です。IKKUは自分たちのtrackを聴かせるものの、それもボロカス。千夏はべつに曲がどうこう言っているのではありません。IKKUが自分に言い訳ばかりして本気で勝負していないことを見抜き、それをdisっているわけです。

彼女の様子を見ていると、ただただIKKUをバカにしているのではありません。たとえば彼が急にラップ調で話し出す場面など、あまりにもバカにしやすいポイントですが、そこで彼女はIKKUをしっかり「見て」います。このへんのみひろの演技はかなり細やかで印象的です。彼女が(元)AV女優だからというだけのキャスティングでないことがわかります。

IKKUはまともにanswerすることができません。激烈にダサいdis「お前がAVやってたって知ってるんだぞ」にも千夏は動じません。東京に飛び出し、様々な挫折や理不尽と戦ってきたであろう彼女はなにしろ強いのです。これに対してIKKUは、これ以上なく情けない姿です。


リアリティのナイフその2・福谷市民のdis

先輩ラッパーの斡旋で、SHO-GUNGは「福谷市民の集い」なる場に「頑張っている若者代表」として引っ張り出されることになります。先輩2人はドタキャンしており、つまり3人は笑い物にされるべくハメられているわけです。実際、お偉いさんのような人々の前でラップを披露することになり、もう散々な目に合います。

彼ら3人は、まるで質疑応答のような形で強烈なdisを受けます。しかも、これもいちいち的確です。本当に学校の勉強は役に立たなかったのか、両親が働けなくなったら生活はどうするのか、税金ぐらい納めないと、などなど。これはグサグサ刺さるところです。「英文法関係ねえ」ってお前らテキトーな英語ラップに織り込んどいて英語全然わかってねえのか、と。社会のこと何もわからず政治家官僚disってんのか、と。

ここで面白いのは、3人の反応にそれぞれのキャラが出ているという点もそうなのですが、あのヒップホップとまるで関わりのない福谷市民の皆さんが、彼らのラップの内容をちゃんと「聞いて」いるというところです。ちゃんとそれに対して的確に返しているのです。みんな超マトモなことを言っています。3人はこれにもanswerできません。ちっとも福谷をレペゼン(represent)などできていないのです。


何がひっくり返ったのか?

各方面からdisられ倒し、伝説のtrack makerであるタケダ先輩の死も経て、IKKUの中で何かが変わっていったことは明らかです。それが思いっきり表現されるのがまさに映画のクライマックス、最後の2シーンです(ところで、気づかれた方も多いでしょうが、この映画にはかなり多くの場面が1シーン・1カットで撮影されているという特徴があります)。

IKKUは、またどこかで人生の戦いを始めるために旅立っていく千夏に対して、自分たちのCDを渡します。いらないという彼女に、ほとんど無理やり、いつでも大切に身につけていた自分のプレーヤーとヘッドホンごと渡すのです。それも「俺たちの曲だ、聴いてくれ」と言って。以前に彼女に曲を聴かせたときには、そうと告げずに黙って曲を流し、タバコをふかすだけでした。それで、曲をというよりそのダサい態度を千夏に強烈にdisられたのです。でも今のIKKUはちっともダサくありません。「俺の曲を聴いてくれ」と必死なミュージシャンがダサいわけないのです。

そして最後の場面。居酒屋で働き始めたIKKUのところに、工事現場かなにかで働いているらしいTOMが同僚たちとやってきます。そこでIKKUは、サングラスもなく帽子もなくマイクさえもなく、店員の衣装のままで「夢諦めんじゃねえ、一緒に進んでいこうぜ」という内容のfreestyleをかまします。TOMがこれに呼応します。ここがとにかく素晴らしい。心にグッと迫ってくるラストシーンです。

たとえば、いきなりこの場面だけを見たのなら、わけのわからないデブ店員が突然ラップを始め、客がそれに応え始めるという、奇妙でシュールでダサい場面というだけです。その視点を代弁しているのが、彼ら2人以外の人々です。でも、彼ら2人には、そして我々観客にはここまでの1時間ちょっとがあるから、全く同じ場面がひっくり返って、これほどまでに感動的なものとなったのです。そのためにこの映画はあったと言って過言ではありません。この達成は、映画としてまことに素晴らしいことだと感銘を受けました。


ラッパー的にはどうなのか?

音楽に限らず、何か専門分野のことを扱った映画の場合、一般の感想とその専門家の感想にけっこうな乖離があるというケースがあります。一般に評判が良くとも専門家には評判が悪いとか、あるいは専門家ならではの視点から賞賛を集めるケースなどもあります。

このようなケースとしては、近年ではジャズを扱った映画『セッション』(2014)が好例です。全体としてなかなか好評だったのですが、ジャズの専門家からはおおむねこきおろされていました。そこでこの『SR サイタマノラッパー』はどうなのか、というのが気になります。私にはラップだとかヒップホップの基礎知識がほとんどありませんし、ラップの上手い下手の(個性とか以前の最低限の)判別ができているのかも怪しいのです。

というところで、この作品を映画評論でも人気を博すRhymesterの宇多丸さんが激賞されていますので、彼がどのように評しているのか、ぜひ調べてみてください。業界の中の人としての視点も相まって、非常に説得力のあるお話でした。


(ちなみに、私は宇多丸さんの評論は普段ほとんど聴き/読みません。これは嫌いだとか悪く言っているのではなくて、聴いたことのある範囲では非常に頷かされる評論が多いのですが、それゆえになんだか映画の余韻から何から全部「持って行かれてしまう」感じがするのです。もしかすると感じ方の方向性が似ているためなのかもしれません。) 

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