ふきげんな過去(2016)あらすじと作品紹介(ネタバレなし)




鑑賞済みの方は、ネタバレありの解説記事もご覧ください。

「ふきげんな過去」はどんな映画?

退屈な日常の中で、いつも不機嫌そうに暮らしている女子高生。家業は北品川のエジプト風料理屋。周囲の人々も、起こる出来事も、どこか少しずつズレている。でも彼女は何にも面白さを見出せないし、どこまでも想像の範疇を超えてこない暮らしの退屈さにイライラする毎日だった。そんな夏休みのある日、死んだと思われていた伯母が突然帰ってくる。いかにもエキセントリックな伯母の存在に、彼女の日常がかき乱され始めるのだが……。

好きな人はすごく好きだろうけれど、合わない人はとにかく合わないだろう、というおもむきの映画です。強いて分類するなら「コメディ」となるでしょうか。「日常→異常の不条理コメディ」という感じです。不条理演劇だとか、シュールなコントだとか、そうしたものに面白さを見出せる方に対しては、なんだかしみじみとしたおかしみと、その先にあるじわじわした共感みたいなものが迫ってくることでしょう。私にとっては、フツフツと好きになってしまうタイプの映画でした。

監督は「ジ、エクストリーム、スキヤキ」の前田司郎。劇作家出身の監督らしく、映像の中にも演劇的なアプローチが多く見られます。主演は「空中庭園」「グーグーだって猫である」の小泉今日子と、「ヒミズ」「私の男」の二階堂ふみ。他に板尾創路、高良健吾、山田望叶ら。


「ふきげんな過去」あらすじ

ぼんやりと、しかしどこか敵意をもって、睨みつけるような表情で運河を見つめる女子高生・果子(二階堂ふみ)。ワニが出るという噂の運河だ。ノリのホンダ(海苔の本田という店を指すと思われる)の奥さんがそう言っている。彼女は子どもをワニに食われてしまったから、復讐のためにいつも銛を構えて水面を見つめているのだ。ノリのホンダの奥さんはおかしくなってしまっているからそんなのはでたらめだ、と言われても、果子は「ノリのホンダの奥さんだけが正しくて、ほかが全部狂ってるのかもしれないじゃん」。彼女はどこまでも不機嫌そうだ。

果子はとにかく苛立っている。家業は豆料理屋で、日中は家族総出で淡々と豆の殻むきをするのだが、その間の他愛もない会話でも受け答えはそっけなく、苛立ちを感じさせる。とにかく変わり映えのしない日常にうんざりしているのだ。夏休みともなればなおのこと退屈だ。外の世界とのつながりは、ワニが出るらしい運河の「ワニが出ない様子」を見つめることと、喫茶店に行って本を読むこと(よく喫茶店にいる妙な風体の男が気になる)ぐらい。でも何かが起こって、彼女をどこかに連れて行ってくれるわけではない。

そんな中、謎の女が実家にふらりとやってくる。正確に言うと、帰ってくる。彼女は18年前に死んだと思われていた伯母の未来子(小泉今日子)だ。その存在はつかみどころがなく、果子をますます苛立たせていく。でもそれと同時に、退屈さを打ち砕くような何かもまたもたらされる。死んだことになっているからいい(?)ものの、前科があって本来ならば警察に追われる身であるという未来子。その存在が、じわじわと果子の退屈さに侵食してくる。


鑑賞前のポイント

この映画が合うか合わないか、というのが最大のポイントです。たとえば、作中の出来事とか会話にいちいち「具体的な意味」を見出さなければ気が済まない人にはあまりおすすめできません。ウェブ上でよく「結局あの作品は何が言いたかったんですか?」みたいな質問をしている人がありますが、こういうタイプの人は間違いなく楽しめないことでしょう。

それでも、このような映画が「合う」人にとっては、なにか愛おしくなるような存在になり得る作品です。なにしろ、二階堂ふみは「ずーっと不機嫌である」小泉今日子は「むやみに、さほどの深みもない感じで謎めいている」という存在でありつづけ、ほとんどそれだけで物語を押し進めていくのです。二人ともかなりの存在感です。それについていく小学生のいとこ・カナ(山田望叶)の力量も立派です。

ほぼすべての会話はどこにも行きつかない、ナンセンスきわまるものです。非常に舞台演劇的で、でもそれが映画という文法にしっかり落とし込まれています。ふわふわとした不思議な爽快さをなんとなく(もしかすると強く)感じたい方には、すごくオススメです。

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